江戸東京野菜シリーズ、2回目は冬の定番野菜である「小松菜」です。
もともと小松菜の名前は都内にある小松川地区にちなんで名づけられたという説が有力です。
また、東京風雑煮にも入っている食材でもあり、都を代表する野菜の1つといっても過言ではありませんが、伝統野菜に数えられるということは、今現在流通している小松菜は違うものになってしまっているということ。
小松菜に一体何が起きたのか?今回はそんなお話です。
【小松菜といってもいろいろ】
現在、江戸東京野菜に数えられている小松菜は2品種あります。
1つは後関晩生(ごせきばんせい)小松菜、こちらは小松菜の名前の由来となった小松川地区のある江戸川区や、比較的多くの農地を残す東京西部で栽培されています。
もう1つは世田谷区、大田区の固定品種とされている城南小松菜。
こちらは江戸東京野菜として数えられるようになったのは比較的近年(2012年)のことなので、江戸東京野菜の小松菜というと、後関晩生小松菜のイメージが根強いようです。
【普通の小松菜との違い】
その後関晩生小松菜、かつて徳川吉宗公が食べ、その味に感激したとされる小松菜ではないかと考えられています。
名もない冬の青菜から一大出世ともいえる大躍進を遂げたほどですが、今はやはり農地から姿を消しつつあるのが現状です。
その理由はいくつか考えられていますが、後関晩生小松菜特有の茎や葉の弱さが挙げられています。
現在一般的に流通している小松菜は茎がしっかりしていますが、これは品種改良の際にチンゲン菜などの茎の硬い野菜と掛け合わせたため。
伝統品種である後関晩生小松菜は食感の柔らかさが特徴ですが、そのかわり傷つきやすく、収穫後の品質を保持するのが難しいようです。
折れたり傷ついたりしやすいということは、収穫にも最新の注意を払う必要があります。
後関晩生小松菜は葉も大きく、横に広がりやすくなるため、収穫の難易度はさらに上がります。
病気や虫害といった理由ももちろんありますが、 「同じような理由を前にも見たような気がする……??」 と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、前回の練馬大根編でも収穫の困難さこそが、農地から姿を消した最も大きな理由だと述べました。
それだけ、収穫にかかる労力は農業を行う上で決して軽視することのできない問題なんですね。
実は、東京都の小松菜の生産量は全国でも上位に位置していて、2015年の時点では全国4位(!)の生産量を誇っています。
そのため、伝統小松菜の販売を行っているところなら、一般の小松菜も取り扱っているケースは少なくありません。
都内近郊にお住まいの方は、見かけたら食べ比べてみてはいかがでしょう?
Text by はむこ/食育インストラクター