くじら、想いやるかたち
南極捕鯨に関するニュースが飛び交っております。
くじらの議論に関しては、海洋資源としてのくじら・海洋資源を消費するくじら・愛護の対象・肉に含有される水銀などと、論点はたくさんあります。
良いか悪いかは抜きとして、くじらを食べるの、私個人は好きです。
南房総では「鯨のたれ」、くじら肉を醤油等のたれに漬けて干した物、火であぶって一味マヨネーズで食べます。
汐くじら、やたら塩っぱく海臭さが凝縮されてます。あぶったものを少しだけ囓り、お酒で潤します。
皮くじら、奥行きある白さの脂肪質で、ブロックなら弾みある黒皮に外側の一側面が覆われ、白黒コントラストが締まりある視覚を生みます。
筍と煮た物は好物で、あれば家でも外でも こればかり食べます。
くじらと私のこんな関わりも、せいぜい20年のことです。
7世紀末、くじら漁と言われる線描が、わずか原形が残る古墳の石に刻まれます。
佐賀・長崎沖の壱岐島の鬼屋窪古墳です。
2,000年以上前の弥生土器にも、くじら漁と言われる線が刻まれます。
同じく壱岐島、原の辻遺跡です。
この土器は見ること叶いませんでしたが、それでも、土の「うつわ」はどんな用途であって、
くじらはどんな思いで描かれたのか、もやもやは消えません。
くじらのうつわ、唐津焼が連想されます。
灰白く濁る地肌のうつわ、フチには鉄さび色の線、このデザインを「皮くじら」と呼ばれます。
なぞらえて呼ばれるのは、初めから意図したザインか、たまたま似てるのを洒落て呼んで定着したか、くじらの存在が、近かったことが伺われます。
皮くじらの湯引きは、九州の正月でよく見ました。
そう、目出たいんです。
くじらが捕れると「七浦が潤う」、海づたいの一帯が 恩恵にあやかれると言われたそうです。
だからくじらは、恵比寿とも呼ばれ尊ばれ、余すところ無く使われたと言います。
様々な人・民族により、思いのかたちは様々です。
時には、パートナーである動物を尊び、野生動物を愛護します。
キリスト教圏なら、日々の糧を主(しゅ)に感謝します。
しかし、もし食糧となっても、その生きもの自身を敬えるとしたらこれは何でしょう?
日本では古来から、くじらの奪い取った命に対し、供養をしてきました。
ともに生活した『 くじら 』、これが食と文化、そう思います。
執筆者
資源と環境の教育を考える会「エコが見える学校」
海老原 誠治(三信化工株式会社所属)
(配信元:資源と環境の教育を考える会「エコが見える学校」)