歳時記を知ろう⑤

今回は10月の歳時記をご紹介します。

【歳時記とは】

当初、歳時記(歳事記)は太陰太陽暦(旧暦)を基にした年中行事や四季の事物をまとめた物を指しましたが、江戸時代以降になると、俳句や俳諧の季語を分類し、解説等を加えた書物の事を指すようになりました。
現在では、「食の歳時記」や「暮らしの歳時記」「季節の歳時記」といった様々な形で行事や四季を身近に楽しみ、感じてもらえるよう出版されています。
※太陰太陽暦にも様々な計算方法があり、その中で太陽暦に変わる直前まで使用されていた「天保暦」を一般的には「旧暦」という事が多いようです。

【神無月(かんなづき)】

神無月は10月の別名。
諸説ありますが、「神を祀る月」→「神の月」とされている説や10月は国中の神々が出雲大社に出かけて行くため、出雲(島根県)以外には「神がいない月」→「神無月」とする説が有力です。
逆に、諸国の神々が集まる出雲では「神が集まる月」→「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。
神の無い月と書きますが、水無月(6月)と同様、「かんなづき」の「な」は連体助詞と呼ばれるもので、「~の」にあたるため、「神の月」という意味となります。

【10月の行事など】※2017の旧暦を基に日にちを出しています。

1日:衣がえ
中国の宮中では、旧暦の4月1日と10月1日に夏冬の服を入れ替える習慣がありました。
日本へは平安時代に伝わったとされます。
明治時代に新暦が使われるようになり、現在の6月1日と10月1日に夏冬の服を衣がえするようになりました。

4日:中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)
別名「十五夜」「芋名月」と呼ばれ、収穫を祝う行事
旧暦の秋は7~9月で、8月15日はちょうど秋の真ん中の日にあたる事から名付けられたとされ、芋類が収穫の時期を迎える事から芋名月となったといわれています。
また、翌月の13日を「十三夜」と呼び、月見をしました。
十五夜と十三夜、どちらか一方しか見ない事を「片見月」といい、縁起が悪いとされています。
※例年だと9月中頃~終わりのどこかで十五夜に当たる事が多いのですが、今年は10月4日が十五夜、11月1日が十三夜です。

8日:寒露(かんろ)
朝晩の寒さが増し、朝露が冷たいと感じるようになる頃。
寒くなって空気が澄み、晴天の日は夜空に浮かぶ月の姿がくっきり映し出されます。

20日頃:恵比寿講(えびすこう)
神無月に出雲に出向かず、留守を任される恵比寿様や大黒様といった神様を祭る日
旧暦の10月20日または11月20日、地域によっては1月10日に行うなど様々ですが、市が立ち、賑わいを見せる行事で、全国各地にある風習です。

23日:霜降(そうこう)
寒露の頃よりさらに朝晩の寒さが増し、霜が降り始める頃。
冬本番までもう少しです。


【味覚】

栗・柿・しめじ・さつま芋・里芋・落花生・むかご
ししゃも・秋鮭・かわはぎ・さば・ほっけなど

【中秋の名月】

昔は月に対して「優雅さ」や「気品」の象徴という概念がありました。
また、月は夜の明り取りや暦を知る上でも重要な役割を持っていました。
十五夜に当たる旧暦の8月15日(現在は9月中頃が多い)は、一年のうちで最も月がきれいに見える日とされており、月を愛でながら作物が無事収穫出来た事への感謝を込めて行う行事を「中秋の名月」と呼ぶようになりました。
中秋の名月の頃は芋類が取れる時期であるため、「芋名月」とも呼ばれます。
供えるものとしては、神様がお見えになる時の目印や依り代になるススキ・収穫した野菜や果実・満月に見立てた団子・里芋を蒸して皮を一部とった「キヌカツギ」などを供え、後で感謝を込めていただきます。
また、「月見どろぼう」といって、近所の子が飾ってある月見団子を盗み食べても良い風習があります。
これは、「月が団子を食べてくれたので、後々良い事がある」という意味合いが含まれ、この日は飾ってある団子を食べても怒られない、むしろ喜ばしい事として歓迎されました。
(昔は縁側にお供えをしていた事と、近所との繋がりも濃かったので成立していた風習ですが、現代は横の繋がりが薄れてきているので、こういった風習は成立しにくくなっています。)

日本の風習は季節を大切にし、ともに歩む道しるべです。
ご家族や友人と行事をする際は意味合いを話しながら楽しむと、後世に風習が残っていくきっかけになります。
この「歳時記を知ろう」シリーズがそういった時に役立つと嬉しいです。

Text by さゆり/食育インストラクター